【訃報】大杉漣さん、逝く
訃報を知ったのは、昨夜でした。
残念だ。本当に残念だ。
普段から「ハス、ハス ※ハス=【蓮】」とチャカしてたけど、本当に味のある役者さんでした。
名バイプレイヤーの地位も確立し、これからまた歳を取って、深みが出てくるのは間違いなかったのに。70代、80代の「ハス」氏を観たかったなー。
心よりご冥福をお祈りいたします。
「HANA―BI」など北野武監督(71)の映画をはじめ、数多くの作品で存在感を示した俳優の大杉漣(おおすぎ・れん、本名孝=たかし)さんが21日午前3時53分、急性心不全のため死去した。66歳。徳島県小松島市出身。出演中のドラマの収録後に倒れ、そのまま逝った壮絶な死だ。葬儀は故人と家族の意向で親族のみで営む。誰からも愛された名バイプレーヤーの突然の悲報は芸能界に衝撃を走らせた。
名脇役の突然の死は、所属事務所が午後8時半にホームページで発表した。目を疑った人も少なくなかったはずだ。テレビ東京のドラマ「バイプレイヤーズ〜もしも名脇役がテレ東朝ドラで無人島生活したら〜」の放送日にも重なっただけに、衝撃は余計に大きかった。
本紙は大杉さんが20日も同ドラマに参加している様子を取材。いつもと変わらない様子だった。収録後に松重豊(55)ら共演者と夕食を共にし、ホテルの自室に戻ったところで腹痛に襲われた。
出演者はグループLINEでつながっており、それを利用して大杉さんは「具合が悪い」と訴えた。異変に気付いた松重がタクシーで千葉県内の病院に連れて行った。手厚い治療が施されたが、容体は好転せず、臨終は松重の知らせを受けて病室に駆けつけた光石研(56)、田口トモロヲ(60)、遠藤憲一(56)がみとった。
撮影中の壮絶な“戦死”だ。共演者たちの悲しみは計り知れないものがある。テレビ東京を通し、「あまりにも突然のことで、メンバー一同、まだ現実を受け入れられないでいます」と悲痛なコメントを寄せた。同局は「ご遺族、事務所、キャストの皆さまのご意向もあり…」と21日の第3話を予定通り放送。28日の第4話と3月7日の最終話の放送については検討中と説明した。
大杉さんは明治大学を中退後の74年に劇団「転形劇場」に入団。88年の劇団解散後に活動の場を映画やドラマにも広げて硬軟問わず数多くの役を演じ分けてきた。情報屋、やくざ、刑事、校長先生など「300の顔を持つ男」と言われるゆえんだ。
北野監督との出会いで才能が大きく開花。北野組のレギュラーとなり、他の実力派監督からも声がかかるようになった。それでも当人は客観的な視点を大事にするためにスタッフや共演者とプライベートでは一線を引く姿勢を取り続けた。昨年公開された北野監督の「アウトレイジ 最終章」が最後の出演映画。これが自身の最終章にもなってしまったのはあまりに悲しすぎる。
◆大杉 漣(おおすぎ・れん)本名大杉孝(おおすぎ・たかし)。1951年(昭26)9月27日、徳島県生まれ。74年に太田省吾創設の劇団「転形劇場」に入る。80年にピンク映画「緊縛いけにえ」で映画デビュー。88年に転形劇場が解散し本格的な映画挑戦を目指した。99年「HANA―BI」ほかでブルーリボン賞、毎日映画コンクールなどの助演男優賞を受賞。
大杉蓮さん、最期を看取った松重豊を「最後の別れの時までちゃんといてくれるやつ」と明かしていた
22日放送のTBS系「ビビット」(月~金曜・前8時)で映画「ソナチネ」「HANA―BI」などに出演し、ドラマやバラエティーでも親しまれた俳優の大杉漣(おおすぎ・れん、本名・大杉孝=おおすぎ・たかし)さんの訃報を特集した。
大杉さんは21日午前3時53分、急性心不全のため死去した。66歳だった。20日は千葉県内で出演ドラマの収録に元気に参加。午後9時頃まで撮影を行った後に共演者らと食事。その後、ホテルの自室に戻り、激しい腹痛を訴えたという。同番組で共演する俳優・松重豊(55)に介抱されてタクシーで同県内の病院に搬送され、共演者やスタッフらにみとられながら息を引き取った。
番組では2008年12月「はなまるマーケット」に出演した松重が大杉さんについて語る映像を放送。「大杉さんのおかげですごく雰囲気も良くなるし。映画の現場自体がスムーズに進むし。それでいて、大切なこともキチっと言ってくれるんですよね。だから本当にボクが映画好きになったのは大杉さんがいて、仕切ってくれていたからで。本当に尊敬する先輩だし。一緒に買い物に行ったら止まらないですし。なんかね、あういう先輩になりたいなって思ってこういう仕事続けてきたなっていうのはありますね」と明かしていた。
放送時に大杉さんはビデオメッセージを寄せ、松重について「友人ではあるんだけど、いいライバルというんじゃいないですけど刺激しあえる。付き合ってくれるとお酒なんかも最後まできちっと付き合ってくれて。なんか最後の別れの時までその瞬間までちゃんといてくれるやつ。本当にいいやつなんですよ」と話していた。当時の話のように松重が最後の別れまで看取り、大杉さんは旅立っていった。
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