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明日、君がいない

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s t o r y

とある高校。青葉ゆれる季節。女子トイレで、鍵のかかった個室が見つかる。

足元を見れば、個室から血だまりが。

この高校で一体何があったのか。はたして個室の中にいるのは誰なのか。

7人の高校生にクローズアップして、物語は時間をさかのぼる。。。

  

c o m m e n t

映画のオチである ”血だまりの主は誰か?” は正直どうでもよくなる、そんな映画でした。

それは決してツマらないということではなく、むしろ7人の高校生のキャラクターにどんどん感情移入してしまい、この映画の本当の意味(狙い?)を別色に変えているからです。

撮影場所も、登場人物(エキストラも)もそんな大掛かりなものではなく、おそらく限られた予算の中、純粋にシナリオで勝負している感じに好感が持てました。

また、最近のサスペンスものにありがちな、ただ大ドンデン返しなラスト(オチ)だけにこだわっているのではなく、むしろラスト(オチ)のインパクトが薄れるくらい濃厚なテーマがそこには隠されています。

  

この映画の主人公である高校生たちは、それぞれが重く暗い悩みを抱えています。

それは映画用にデフォルメされているにしても、生まれ持った運命(宿命)的なものだったり、自分独りではどうにもできない状況に知らずに陥ってしまった後天的なものだったり 。

僕たち観る側が生きていく上でも、どこか共感を覚えてしまうものに他なりません。

僕も 「どうしてこんなことになっちゃったんだろう」 と、「自分が何か間違ったことをしたかなぁ」 と思うことがありますが、その気持ちを煮詰め続けて、凝縮させたのがこの高校生たちなのです。

  

この映画が絶妙なのは、誰もが思いあたる悩み(または悩みを抱えてしまった自分) を、10代の高校生を通して炙り出しているところです。

例えば、サラのように。

10代早々でいきなり運命の人と出会い → 結婚! → 自分は幸せになれる(なる)!と思い込む(思い込もうとする)のは、恋に夢中になりすぎる10代の頃に誰しもが少なからず一度は経験があると思います。

同性愛も身体の障害も近親相姦も。

確かにサラほど日常的で身近なものではないにしても、それを突き詰めた先にあるものは、自分の運命を呪ったり恨んだり、諦めて受け入れようとしたり、やっぱり抗ったり何度も葛藤したりを繰り返す‥‥。

誰にも言えず、独り心の中で思い悩む(思い込む)構図は、サラのものと本質的にそう変わらないのではないでしょうか。

  

高校生活が残り3ヶ月に迫った時間を切り取って作られた映画ですが、1年後、5年後、10年後に彼らは一体どんな顔で何を話しているのでしょう。

それを想像して、この映画の今をドン底とするのなら、未来には何か光が見えていて、映画の今日この時間は過去となり、少しでもうまく消化してしてほしいと心から思いました。

僕は30代になり、10代の自分を振り返ることのできる今だからこそ、「あの頃はこんなことで人生の終わりくらいに悩んでいたなぁ」 と過去を笑えるように消化できた自分がいます。

それを人生の通過点、慣例儀式のようなものだとするのなら。

この映画はまさに10代の自分の 『タイムカプセル』 のような、そんな映画のような気がしました。

  

結局この映画では、7人のうちの誰かが悩みを乗り越えきれず、死を選びます。

それは決して肯定できるものではありませんが、10代に誰もが味わう挫折や心の傷の味を知っているから。

この映画のラスト(オチ)は、やるせなさや理不尽さが強烈に前には出てこない、むしろ青林檎のような甘さと、酸っぱさと、爽やかさすら残す不思議な感じを受けるのではないかと思います。

最後に同級生の死について、メロディーはこう言います。

「彼女は幸運よ 本当にとても 運がよかったわ」。

この意味をもう少し深く考えてみたい。

そのためにも、もう一度観たいと思う映画でした。

    

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原題: 2:37

監督: ムラーリ・K・タルリ

公開: 2007年(日本) / 時間: 91分

製作: オーストラリア(2006)

キーワード:青春、切ない、甘酸っぱい、高校生、サスペンス、人間ドラマ、予告動画あり

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